今回の教訓とお詫び


前回の投稿において、本当は穏やかであるべきコメント欄で、

一部、建設性が失われることになりましたが、

原因は、私の投稿内容にあることに疑いはありません。

誤解を与えかねない表現であり、善意の方々の心を荒ぶらせてしまう、

そういう要因を記事が作ってしまったことを、本気で謝罪します。

 

うつで、心が弱気になっているとき、ブログを書いてもいいが、

読んでくださる方は十人十色であり、受け取り方もまた同様です。

なにを彼は甘えたことを言っているんだ、となることも考えられます。

 

私は、うつのカテゴリーで書いていることもあり、

弱音が許されるという心の隙があったと思っています。

この心の隙が、ある方には許せないものであり、

ある方には自分の経験と似たところから思いやりを感じるものであり、

こうして、いただく反応はさまざまであります。

 

しかし、人を変えようとするとき、利己的なイライラにまかせて、

感情的になり、結果として、責める言い方になってしまうこと、

そしてそれが、人に強いるかたちになる場合、対立が生まれますね。

 

逆に、愛情をもって、思いやりの気持ちで言葉を発するとき、

聞き手には自然とその愛が伝わり、その人を思う無私の気持ちが、

相手に力を与え、本当に「助ける」という最良の結果が生まれますね。

 

私は、後者のような人間になるべく学習中の身ですが、

それは、自分がかつては前者のような人間であり、

会社の者や、子供たちに、無私の愛あふれる教育をしてやれず、

感情のままに傷つけ、そして傷つけることで自分をも傷つけていたからです。

 

結果、わたしは躁うつ病です。

私は躁で仕事と友人をなくし、

鬱で自分を苦しめ、自業自得という意味を人生から学んでいます。

 

いかに、人に何かを伝えるとき、感情的であってはならないか、

大人が、落ち着いて、穏やかに、理性的に、自分のことを一番に考えず、

相手への思いやりから発言することの大切さを、

離婚などを通して、深く学んでいる最中であります。

 

だから、私は、人間社会のなかで、完璧でない人間たちのなかで、

衝突があったとしても、みんなで納得するまで自分の良くなかったところ、

これを認め合って、最後は仲良くなることが正しさだと考えます。

 

不思議なことに、人間は、一度くらい衝突したほうが、

逆に親友になったりと、心を通じ合わせる、

善の機能を持っているものだと、経験上、思っています。

 

このようなわけでして、私の至らなさが発端でありながら、

このように総括するのも心苦しいところがあるのですが、

人間には知性がありますし、ましてや私たちは大人ですので、

仲良くなれるものだと信じております。

 

犬は怒られても、すぐにそれを忘れて、

私たちを許して、なついてきますよね。

 

それは、記憶に縛られていなくて、一瞬一瞬を、

新たに新たに生きている何よりの証拠だと思います。

私たちは、犬のように、嫌な過去に縛られず、

水に流し、また再び仲良くなるという、

そういう人間たちでありたいと、犬から教えられているような気がします。

 


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