子供に会えなくなった


ここしばらく、俺の唯一の希望は子供だった。

正月、元旦から息子と娘に会える予定だったのである。

髪を切り、服を買い、プレゼントも用意していたが、

すべて、終わりになった。

 

さすがにショックを受けたよ。

 

理由を話してもいいが、俺は男だから口を閉じる。

子供のことは一生、一分置きにでも思い起こすが、

元嫁については、道を間違えてもそこから正しい学びを得るようにと、

祈ることしかもう俺にはできない。

 

俺は、ここまで運命が試練を与えてくれていることを受け入れる。

歳を取って分かることだが、苦しいときにこそ学びがあり、苦しみのありがたさが身に沁みる。

逆に、Kさんがよく言う無痛の状態のほうが、よっぽど進歩がないため価値が薄い。

 

俺は何も進歩したいわけではなく、

ただ、正しい人間でありたい。

 

明らかに理不尽なことというのは運命につきものである。

そんなときにでも、俺は心荒ぶることなく、

静かにその運命を立ち去り、学びという収穫を持ち帰るようにしたい。

 

最近思うのだが、やっぱり、運命で起きることはどうでもいいね。

なにせ、コントロールできるものじゃないからね。

 

重要なことは、

起きたことに対する自分の姿勢というか、在り方というか、

毎回毎回、良いこと悪いこと、起きる出来事に一々ふりまわされない自分というものが、

なにより大事なことだと考えるようになったよ。

 

40歳を前にして、俺は、今回の辛い出来事において、

ショックを受けたが、思いのほかすぐに立ち直り、

また、怒りの感情が出なかったことに、

静かな喜びと感謝の気持ちを覚えている。

 

もうどうでもいいとか、自暴自棄になることもなく、

平常心で試練を通過することができた客観的な自分に、

むしろ驚きを感じている。

 

甚だ遅きに失したが、40にして、俺は大人らしく成長できつつある。

もちろん、成長に限りはない。

 

人生という先生からありがたく知恵を学び、

昔のように害でしかない人間から脱皮して、

無私の人間に向かって研鑽を積んでいきたい。

 

子供は俺のことを忘れないだろう。

むしろ、勝手に俺に会いに来ることもあるだろうが、

そのとき、俺は子供たちにとって、正しい父親として会えるよう、

毎日、躁うつ病という勝手にやってきた新妻とともに、学びつづけていきたい。

 

いつも読んでくれているみなさん、

そしてコメントから、さらには問い合わせから激励してくれる方、

その思いやりと親切心にひれ伏して感謝を申し上げます。

 

しかしわたしは大丈夫であります。

なにか、吹っ切れたときのような、すがすがしさすらあるのです。

けっして、いま躁の状態ではなく、鬱の状態でもなく、

冷静で、心静かであります。

 

わたし、バツイチ男の佐渡は、躁うつ病に勝ったんじゃないか、

いや、躁うつ病の方が勝手にわたしから去っていったんじゃないかと

思えるくらい、何ともいえない、むしろ、どうでしょうか、

幸せな気持ちでおります。

 

なんと不思議な感覚でありましょうか。

これが、苦痛の先にある心の平和というやつなのでしょうか。

 

自分には高尚なことは分からないですが、

自分の感じているこの何ともいえない感覚は分かるのであります。

 

もう大丈夫です。いつも心配してくださる善意の皆様、

わたくし佐渡は、今後も、最も身近にある運命という先生から、

正しい道を学び取り、日々を邁進していく所存でありますので、

どうぞ、これからも友人として、仲間として、

未熟の駆出し者の佐渡を、なにとぞ宜しくお頼み申します。


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